Memory

初めてジョンに会ったのは関空へ彼を迎えに行った時だった
9.11テロ事件の直後で無事飛行機が到着するのか心配だったが
彼はゲートから現れた
テロ事件でビルが崩壊した写真を掲載した新聞を握り締めて・・・・・・

我が家で ドラマー久保利道に捧げるライブ
久保さんの奥さんもご招待して
ジョンをメインに開催したことがある
その奥さんも亡くなってしまった
演奏終了後、打ち上げの席でピアノに向かったジョンは
突然、即興でブルースを弾き語りしてくれた
今思えばあのライブをやっておいて本当に良かった
我が家でジョンが実際に演奏してくれたのだ
当日のビデオは私の永遠の宝物になるだろう

ニューヨークで彼に会った時は
日本で会うのと違い非常に自然体だった
日本では旅の疲れや異国での緊張感があったのだと思う
タイム・カフェでミンガス・ビッグ・バンドに出演していた彼は
「友人だ!」と特別扱いで入り口を通してくれて
スー・ミンガスにも紹介してくれた

ブロンクスでは野外コンサートで演奏していた
踊りまくる聴衆の前でエキサイティングにブローする姿は永遠に忘れないだろう
会場ではジョンの最愛の女性にも会えた
彼女からジョンの近況報告の手紙が届いて
直ぐにジョンは帰らぬ人となってしまった

毎晩、明け方近くまで呑みながら
ジャズ談義を延々と交わしたのものだ
ジャズを語る彼は演奏と同じように熱がこもっていた

ジョンのHPを作りたいと申し出た時、
彼は快く承諾してくれて
大量の資料を送ってくれた
HPを作りながら改めて彼の偉大さに感激した

最後に関空で彼を見送った時には
再会を約束して気軽に分かれたのに・・・・・・・・・・・・

2005年7月4日 John Stubblefield 永眠

このページはジョン・スタッブルフィールド本人の承諾と協力を得て作っています
This page was written with John Stubblefield's consent and cooperation.